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会話と思いやり
2006/03/14(火)
単語の羅列で日常会話と自習室があいてないんですを読んで感じたこと。
「自習室がいっぱいなんです」というのと、何が違うのだろう。そりゃね、「あいてない」は2通りに解釈できるわけだけど、そして教師の勘違いに生徒が気付いて「そういう意味じゃなくってさー」と教えてあげてもよさそうな話だとは思うけど。
この場合は先生の方も「あいてないってどういうこと?」って聞いてあげればいいのに、とも思いますが、それ以前に、この生徒は自分の発言が勘違いされていることに気付いていないのではないかと思います。
単語の羅列で日常会話、私はあまり、違和感を覚えないです。
家族や友人など親しい間柄との会話でなら、単語のみでもいいかもしれません。お互いに「相手の気持を理解したい」とか「相手の気持をわかってあげよう」という気持が働くからです。けれど、公の場や初対面の(あるいは会ってまだ日の浅い)相手には通じないと思います。(少なくとも、あちきの現場では「『。(句点)』までちゃんと言え!」と叱られます。)
「通じりゃいいじゃん」ていう考え方はあちきにもありますが、「自分の伝えたいことを語尾まできちんと言える」ことが前提です。その上で「単語で話す」のと、普段から「単語でしか話せない」ことは違います。
ほら、ぼけ役は二単語ですんじゃうでしょう。日常的にこういう「ぼけ、つっこみ」的会話をしてるもんだから、彼らはこういう話し方をするわけです。
というように、単語しゃべり
しかできない人は、お母さん(または誰か)が残りの文章を補ってくれるという環境で甘やかされて育ってきたのでしょう。そんな環境で育てば、言葉が足りなくても理解されてしまうから、「この言葉では自分の気持が相手に通じない」という考えははなっから持ちあわせていない。
だから、単語しゃべりしかできない人は「ここまで言えば、あとは相手が理解してくれるだろう」という甘えた考えを持ってしまうし、冒頭の生徒もあいてない
と言えば通じるだろうと思ってしまい、「『あいてない』だと誤解される(た)から、『いっぱいです』と言おう」という考えには至らない。
両者とも、相手に甘えてるだけで相手への思いやりが欠けています。会話はお互いの思いやりがなければ成立しない。
甘えてもいい(言葉を省略してもいい)範囲を状況から判断できる能力を子供につけさせてあげるのも、親や周りの大人の責任だと思います。